2011年5月23日(月)
東日本大地震とそれによって引き起こされた大津波により、福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射性物質が環境中へ放出されるという事態となりました。これを受けて、事故発生後数週間の間に多くの外国人が日本を離れることとなりました。日本のメディアは軒並みこれを、「日本語を解さない外国の方々は、日本政府・メディアから出される「正確な情報」を入手し理解することが出来なかったため、外国からの「不正確」な情報に基づく「扇情的な」報道のみを鵜呑みにして日本を離れたのであって、日本語を解する方々の多くはきちんと状況を判断して日本に残られた。」という論調で報道しました。しかし、果たして本当にそうだったのでしょうか?
現在私は、新領域創成科学研究科 サステイナビリティ学教育プログラムに所属しています。同プログラムは、社会の持続可能性といった問題を国際的な問題ととらえ、問題の国際性を理解しつつ、国際的な場で国際的なチームを組んで解決策・発展ビジョンを探るという観点から、留学生を多く受け入れ(在籍学生の半数以上が留学生)英語での教育をおこなっています。同時に私は、東京大学のインターナショナルロッジの相談主事(インターナショナルロッジに居住する外国人研究者や留学生の日々の生活の相談役)としても活動していています。従って私は、外国人研究者・留学生と接する機会が比較的多い立場にいるといえると思います。そうした立場から、上記の報道には大きな違和感を感じました。当時を振り返りながら、その違和感について考え直してみたいと思います。
●何が起こったか?
震災発生後、原発事故が発生し報道が、震災・津波・原発一色となりました。東京大学の柏インターナショナルロッジの共用スペースにあるTVのチャンネルは、通常CNNかBBCになっていますが、これらのチャンネルも同様で、日本のニュースがかなりの時間を占めていました。柏の葉の近隣のスーパーマーケットも休業か短縮営業となり、営業していても米、パン、パスタなどの主食系やカップラーメンなどのインスタント系の食材が底をつくという状況となりました。つくばエクスプレスは14日、15日、16日と早朝と夜間のみの運転となり、計画停電も15日夕方と16日午前中に続けて実施されました。この間に、インターナショナルロッジ居住者は、徐々に故国へ帰国もしくは西日本への一時待避といった対応をとっていきました。正式な調査結果ではありませんが、お彼岸の連休に入る前の3/18の段階で、90%以上はロッジを去っていたと思います。このころには、CNNなどは「放射能の影響がアメリカに及ぶか?」や、「日本政府は情報隠しに入ったと見られる」などの報道になっており、ロッジに残った者は、だいたいNHKを副音声(英語)で見るようになっていました(TVのチャンネルは、CNN、BBC、日本の地上放送、BS放送の中で居住者が選択できます)。理由は「BBC、CNNよりはNHKの方が情報が早い」「BBC、CNNは他国から目線で、危険を煽る、もしくは聞いていて怖い報道が多いから」といった事だったようです。一時的にロッジを離れた者の他に、研究者としての契約期間を短縮したり退学したりしてロッジを完全に退去したものも幾人かおり、また、全く行き先を告げずに、いなくなった者もいました。
●避難行動を考える基本的枠組み
避難行動(リスク回避行動)を取るかどうか決めるに当たり、人はそのコスト(費用)とベネフィット(便益)を、意識下、無意識下で考えています。リスク回避行動のコストは、リスク回避のためにかかった旅費などでしょう。土地や家を恒久的に捨てて避難する場合は、捨てたことによる損もコストとなると思います。一方リスク回避行動のベネフィットは、健康を維持できることですが、この評価は、リスク回避行動を取らなかった場合にさらされるリスクの大きさに依存します。リスクが大きければ大きいほど、そのリスクを回避できた時のベネフィットが大きくなります。意志決定には感情的な(エモーショナルな)部分も絡んでくるので、事はそう単純ではありませんが、上記のようなコストとベネフィットの比較は、一定以上の影響力をもっていると考えて良いと思います。
これに加えて、今回の原発事故で難しいのは、放射線による健康リスクは、計算ですぐに算出できるものではない、ということもあります。リスクを見積もるための、科学的な知見、疫学的な知見がまだ十分ではないからです。多くの公害や環境破壊による健康リスク問題では、初期の段階で、リスクをなかなか正確に見積もることができないということがおこります。評価法がまだ決着を見ていないタイプのリスクが沢山ある(今回の放射線影響含め)ということはまた後で触れたいと思いますが、気をつけなければならないことだと思います。
●地元の人々(日本人)と外国人の避難行動
とりあえずいくつかの例を考えてみたいと思います。まず、日本に生まれ育ち日本で生活を営んでいる人の例を考えます。生活基盤や人間関係が日本にある人にとって、たとえば国外避難を考えた場合、避難行動にともなうコストは非常に大きいものとなります。避難中の滞在費も無視できません。恒久的な避難=移住ともなれば、そのコストは非常に大きいものになります。リスクがそれを上回るほど明らかに大きいと認知されるまでは避難という行動は起こしません。
一方、日本にいる留学生の場合は、帰国の航空料金はもちろん少なくないコストではあるものの、生活の基盤や親族が故国に残っており、故国への避難のコストは比較的低く抑えることができます。避難コストが低い場合、日本人の場合よりもより低いリスクを取りざたすることが可能となります。より小さいリスクでも、避難コストが小さければ、それを回避するために避難することは十分に合理的たり得ます。ある場所に日本人と留学生がいた場合、さらされている健康リスクは(年齢や健康状態などが同じと仮定すれば)同じですが、日本人はそれより避難コストが高くつくので避難できず、外国人はそれより避難コストが安いので避難する、ということが十分におこり得るのです。これは、避難コストが違えば自然なことです。
外国人が、外国からの「無責任な報道(たしかに沢山ありました)」に影響され、「本来低い」リスクを「過大に評価」して、慌てて帰っていった、という側面は、確かに一部あったとは思います。しかし、避難コストの差を考慮せずに、全てが「リスクを過大に評価して慌てて帰って行った」かのような報道には強い疑問を禁じ得ません。
また、日本国政府の奨学金をもらって留学生として日本で勉強している学生の場合、奨学金を捨てて退学してしまえば、奨学金付で勉強して取れたであろう学位も失うことになります。これもコストという事になります。このコストの大きさは、退学して別の大学へ入り直して学位を取ることがどの程度大変か、といったことに依存しますので、人によって大きく違います。しかし、多くの学生にとっては少なからぬコストとなるはずで、事実、一時的な待避行動を取ったあと、学期が始まると戻ってきた学生が大半でした。(一部は、休学したり、完全に退学したという例も見られました。)
●リスク評価について
加えて先述したように、放射線による健康リスクの評価については、科学的に決着が付いていない部分が残っています。大手メディアではあまり報道されてきませんでしたが、とくに低線量放射線による健康リスクや内部被曝による健康リスクの評価は決着が付いていないと考えて良いと思います。従って、最後は個人で判断するしかない状況と私は理解しています。同じ状況にさらされても、たいした影響はない(リスクは小さい)と考える人と、非常に大きいリスクであると考える人と、両方いても全くおかしくない状況なのです。もちろん、海外からの報道の中には荒唐無稽なものもあり、そのような情報のみに強く影響されてリスク評価するのは理性的でない、といったケースもありましたが、日本の「正しい情報」が、言うほど「唯一無二の正しい情報」というわけでもないことは認識されてしかるべきと思います。原子力発電所の状況に関する正確な情報の出方が遅く、信頼性が低く感じられてしまう上(今(5/23日現在)になって出てくる地震後1週間の状況の報道などを見ていると、やはり、、、、という思いを禁じ得ません)、リスク評価の方法についても一種類の情報しか出てこない日本で、避難コストが比較的低い外国人に、冷静なリスク評価をしろという方が無理な注文です。そもそも避難コストが低ければ、冷静にリスクを評価し、たいしたリスクではないと思っていたとしても、「念のため」避難するのは十分合理的なのです。
そもそも日本以外の国で、同様の事象が起こった場合を想像してみて下さい。もしその国に滞在していたら、「正確な情報を得るよりも、まずは待避して、それからきちんと考えよう。」と考える日本人は沢山いるでしょうし、そもそも日本政府は真っ先に帰国勧告を出して救援機を飛ばすのではないでしょうか。
●とりあえずのまとめ
外国人の行動に関する大手メディアにおける解説から、本来個人によって異なる避難コストの差が無視されていること、個人によって異なるリスク評価も無視されていること、に大きな違和感を感じました。こうした違和感が、今回の事故発生当初、私が原発問題を考える切り口の一つだったように思います。
そして、これらの事は外国人のみならず、日本人についても当てはまります。今回は詳しくは論じていませんが、とくに低線量放射線による健康評価(とくに内部被曝)については、科学的に決着がついていないという問題は、非常に重要な論点だと思うので、また機会をみて書いていきたいと思います。