柏の放射線レベルは危険か安全か?
「ただちに影響はありません」?
柏の線量が云々される前の話だが、事故直後、原発敷地内や敷地境界あるいは敷地外で観測される空間線量率について、「この程度の数値は直ちに健康に影響を与えるものではありません」という説明がよくなされていた。
放射線影響には、急性障害と晩発性障害があるとされる。急性障害は、読んで字のごとく、すぐに現れる障害を指し、致死、白血球減少、脱毛などが知られている。晩発性障害は、被曝の影響が何年か後に現れてくる障害を指し、主として発がんを想定している。急性障害に関しては、これくらいの線量を浴びればこのような障害が出る、という関係性が比較的はっきりしていることから、確定的影響と呼ばれるのに対し、発がんは同じ線量を浴びても発がんする人としない人がおり、これくらいの線量を集団に浴びせると、何%の人が発がんするかといった把握の仕方をするしかないので、確率的影響とも呼ばれている。
急性障害に関しては、「これ以下の被曝であれば障害が起こらないぎりぎりの値」=「閾値」が存在するといわれ、過去の被曝データの蓄積から数100mSvまでは大丈夫であろうとされている。よって安全側にみて「100mSv以下なら直ちに影響がでることは絶対にないので安心して下さい。」ということが喧伝された。その程度の線量で、急性影響が出ることはないだろうとは私も思っていたので、とくに異存はなかったが、「直ちに」というのは「急性障害に関しては」という限定だろうと思って聞いていた。しかし、原発作業員の方々以外の一般公衆の多くに関係してくるのは晩発性障害だろうと思っていたので、「晩発影響までは知らないよ、そこまで構っている状態ではないよ」ということを言われているのだと理解していた。
「直ちに」を連発していたころは、もっと速やかに事故を収束できると思っていたと言うことなのか、とりあえず急性影響さえ出なければ後のことは知らない(晩発性影響がでてもその頃は政権が変わっているだろうし)と思っていたのかは定かではないが、その後事故の長期化が避けられないことが誰の目にも明らかになって、晩発影響も考慮した年間限度が取りざたされるようになっていった。
「晩発性影響」
晩発性影響の評価は難しい。晩発影響には急性障害のような閾値がなく、線量と影響=ガン発症率の比例関係がごくごく低線量(ほぼ0)まで続くというモデル(直線閾値なしモデル=Lenear Non- Threshhold(LNT)モデル)や、晩発影響に関しても閾値が存在するというモデル、低線量被曝とうい微量のダメージにより免疫系が活性化されるので低線量被曝はむしろ有益であるというモデル(ホルミシス効果)などがあって、科学者の間でも決着がついていない。
そもそも低線量になってくると、他の因子による影響と放射線による影響を統計的に区別することが困難となるので、この問題はそもそも科学的な実証研究(疫学研究)に適さないと言う指摘もある。また、原発を推進する側と反対する側が全く別の学者を抱え、両陣営の間で科学的な議論がなされない状態になってしまっているという指摘もある。推進側から見れば、そもそも危険が存在しないという証明は科学的にほとんど不可能なのだから、どんなに議論しても(本当に「安全」であることを正しく述べても)「危険」説が消えてなくなることはなく、不毛な議論を続けるしかないという見方(注1)になるし、反対派からすれば、推進側は閾値がある=低線量は全く危険性がないと言いたいので、情報を操作したり疫学的な調査を妨害したりしてLNTが正しい(=つまり「安全なレベル」などというものは存在しないこと)ことを隠そうとしてているのだ、という見方になって、歩み寄ることがない。武田徹氏は原発報道とメディア(講談社現代新書)2011で、はこれを囚人のジレンマ的状態と表現した。「相手は絶対に認めない」という立場を一端譲り、協調してより安全な方法を考えて行くのがお互いのベネフィットを大きくするのに、どちらもそうすることが出来ず、安全性を高めていく道を閉ざしてしまう。
「ICRP勧告とその解釈」
とはいえ、原子力の平和利用を謳う(つまり原発推進の立場に立つ)国際原子力機関(IAEA)や国際放射線防護委員会(ICRP)も、安全側を見るということでLNTモデルを採用しており(ICRP1977年勧告からと思われるが、間違っていたら教えて下さい)、晩発性影響に閾値はない(つまりここまでは浴びていいという値は存在しない)という立場を取っている。従って、少しではあってもガンリスクを高めるのだから、余分な被曝は避けるには越したことがない、というのが公式見解である。ICRPでは放射線防護の基本原則として、以下のものを打ち立てている。
- 正当化の原則
放射線被ばくの状況を変化させるようなあらゆる決定は、害よりも便益が大となるべきである。 - 防護の最適化の原則
被ばくの生じる可能性、被ばくする人の数及び彼らの個人線量の大きさは、すべての経済的及び社会的要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く保つべきである。 - 線量限度の適用の原則
患者の医療被ばく以外の、計画被ばく状況における規制された線源のいかなる個人の総線量は、委員会が特定する適切な限度を超えるべきではない。
(以上、国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告(Pub.103)の国内制度への取り入れに関わる審議状況について -中間報告- より)
最適化原則の「合理的に達成できる限り低く」の原文はAs low as reasonablly achievableでありALARAと略されている(注2)。上からわかるように、線量限度は、そこまで被曝しても良いという線量ではなく、そこよりも低い線量で、ALARAが守られ、かつ便益の方が大きくなる範囲で許容しなさいということである。
一般公衆の線量限度の決定は難しい問題であるが、結局自然放射線程度のレベルであれば(その分の追加リスクはあったとしても)社会全体でベネフィットがあるということで社会的に許容しうるだろうということで、学会としての合議事項として、1mSv/年という値が採用されている。妊婦やこどもも含む一般公衆である。これは日本の法体系にも用いられている。
ところが、事故直後は、一見ICRPの立場に立ちつつも、晩発影響に関してまで閾値があるかのような(しかも急性影響と同程度の高さの閾値(=100mSv)があるかのような)言説が見られた。あるいは閾値があるとは言わないまでも、晩発影響が確率的な影響であることを取り上げて、確率的影響はあくまでも集団への影響の評価であり、個人レベルでの危険性を議論しても方がない(ので、ある値以下の線量の影響は考えなくて良い)といったものも見られた。これは、LNTを採用しながら、あたかも100mSVが閾値であると言っているような論理のすり替えである。急性影響が100mSvまでなら(基本的には)でないという主張は、まあわかる(これとて疑う向きはあるし、そもそも放射線が遺伝子を傷つけるという作用を考えた場合、急性影響と晩発性影響という分類が正しいのかという議論も成り立ちうるのではないかと個人的には思っている)が、晩発影響にまで閾値があると(無意識にではあっても)言うのは誠実な言説とは言えないだろう。(たとえば放射線影響協会は今もそのようなQ&Aを掲げている。)
「1~20mSv」
ICRPは2007年勧告から、計画被曝状況、緊急時被曝状況、現存被曝状況という3つの状況を設定しており、それぞれ以下に対応する。
- 計画被ばく状況
線源の計画的な導入と操業に伴う状況であり、これまで行為として分類してきたものは、この状況に含んでいる。 - 緊急時被ばく状況
計画被ばく状況における操業中、又は悪意ある行動により発生するかもしれない、至急の注意を要する予期せぬ状況である。 - 現存被ばく状況
自然バックグラウンド放射線に起因する被ばく状況のように、管理に関する決定をしなければならない時点で既に存在する被ばく状況である。事故後に長期受ける被曝も含む、とされる。
計画被曝状況(通常時)の一般公衆の線量限度が1mSv/年と設定されているわけ(日本の法体系もそれを採用)だが、事故やテロによる緊急事態も想定するようになっていたのが2007年勧告なのである。2007年勧告を補足するためにPub109やPub111も出されている。
緊急時被曝状況や現存被曝状況では、線量限度ではなくて、参考レベルを設定するとされている。参考レベルを上回る被曝の発生を許す計画の策定は不適切であり、防護対策を最適化するべきと判断される。緊急時被曝状況における公衆の参考レベルは20~100mSvで、状況を勘案して決めることとされる。現存被曝状況(事故後の復旧段階を含む被曝状況)における参考レベルは1~20mSvである。
日本の法体系に2007年勧告をどう取り入れるか議論していた矢先であり、緊急時被曝状況への対応はまだ定まっていなかったのが現状である。もともとあったのは、原子力施設等の防災対策についてという指標で、
- 予測線量 10-50mSvで自宅等への屋内待避
- 予測線量 50mSvでコンクリート建屋の屋内に待避または避難
が決まっていただけのようである。
福島市や郡山市で取りざたされたのがこのオーダーの話だった。法整備が進んでいない状況のもと、緊急時被曝状況の参考レベルのち、最低ラインをとって20mSvとしたと解釈されているが、現状を現存被曝状況ととらえれば、最高ラインを取ったとも見なせる。実際、放射性物質が地表に降下し、そこからの被曝が続いていることを考えると、原発が安定化したとしても、線量率が急に下がるわけではない。そのような意味では、福島市や郡山市の住民を、緊急時被曝状況にあるとみなすのは酷な話であろうと思う。原発の状況が悪化すれば再び「緊急時」に戻さざるを得ないのかもしれないが、先を見越すなら早めに「事故後の現存被曝状況」という考え方にシフトしていくべきであろう。そもそも参考レベルは、そのレベルまで許容せよという意味ではなく、あくまでALARAと正当化の原則は生きている。高木文科相の「20mSv以下であれば、安全だから何も対応する必要がない。」という発言は、少なくともICRPの精神には則っていなかったのは確かである。
「放射線管理区域」
放射線管理区域について前回エントリでも述べたが、もう少しまとめておく。放射線管理区域は様々な法律によって規定されているようだが、およそ
- 外部放射線による実効線量と空気中の放射性物質による実効線量との合計が3月間につき1.3mSvを超えるおそれのある区域
- 放射性物質の表面密度が4Bq/cm2を超えるおそれのある区域(アルファ線をださない各種の場合)
となるようである。
1.を単純に年間に直せば5.2mSv/年、24時間365日続けて浴びる場合に直せば、約0.6μSv/hとなり、柏市内の緑地はこれに相当するか、一歩手前なところも多い。2.の方も、前エントリで書いたとおり、Cs137密度で4万Bq/m2=4Bq/cm2程度であることが明らかになったので、やはり柏は、法律に厳密に従うならば、放射線管理区域に指定しなければいけない土地である。
放射線管理区域では、放射線作業従事者が線量計をもって入ることが許される区域であり、関係のないものが入域することは許されていない。飲食も禁止である。そもそも未成年は従事者にはなれないし、妊娠の可能性のある女性はさらに厳しく管理される。このゆな場所で日々子供達が暮らしている、というのは事実である。
ただし、放射線管理区域はあくまで管理上の決まりであって、この値で人体への健康影響があるかどうかを云々しても仕方がない(そういう値の決め方をしていない)、ということは但し書きされている。
しかし、通常であれば(念のためとはいえ)未成年の入域を禁じ、放射線取扱者のみが線量計をつけて入域する場所で、「子育て」をすること「普通でない」ことはもっと知られて然るべきだろう。少なくとも、何の説明もなく(あるいは「影響なし」の一言だけで)「屋外に出ればそこは放射線管理区域という生活」になってしまっていいわけはないと思う。
「チェルノブイリ」
以上見てきたように、放射線に関しては、「よくわからないけれど安全側をみてこれくらいみとけば大丈夫でしょ」といった規制の仕方が一般的であることに気づく。要するに低線量被曝の影響は科学的にもよくわからないので、そう言っておくしかないのである。「相当安全率をとっている」というのを逆手にとって、「相当な安全率だから」多少はその基準越えても気にする必要はない、という言説が当初頻繁に見られたが、その安全率は「よくわからないから」とっているのであって「相当な」安全率なのか「実はぎりぎり」なものなのかは、誰にもわからない。結果的に「相当安全」である可能性もあるけれど、そう見込んで規制を緩めるのはナンセンスであろう。
というような状況になってくると頼りになるのは、過去の例である。もちろん、過去の例を科学的に検証しても決着がつかなかったために、「相当安全率とって」という話になっているのであって、素人が突然見たところで「正しい結論」が導き出せるものとも限らない。しかし、素人にとって重要なのは「意見・見解の幅」である。「安全も安全。全く心配する必要がない」とする言説から「実は危ない。リスクを過小評価しすぎ。」に至るまで、様々なな言説の束をみることで、自分なりの感覚や落としどころを会得していくプロセスは重要である。よって、過去の例を様々な角度から見ることは非常に重要である。
実際、筆者は事故後から朝日コムに出た(3/15夕刊だったらしい)一枚の地図を気にしていた(もちろん筆者だけでなく、沢山の方々が気にしていて、いち早く解説記事をwebにアップして下さった方々もいらっしゃった(たとえば「早川由紀夫の火山ブログ:フクシマとチェルノブイリの比較」)。この地図はチェルノブイリ事故の汚染状況を示した地図である。その後もう少し細かい地図に出会うことになるのだが、それらによると、チェルノブイリの汚染区域は4段階にレベル分けされており、セシウム137でI.1~5Ci/km2(3.7万~18.5万Bq/m2)、II.5~15Ci/km2(18.5万~55.5万Bq/m2)、III.15~40Ci/km2(55.5万~148万Bq/m2)、IV.40Ci/km2以上(148万Bq/m2以上)である。それぞれI.健康を経過観察する管理区域(幾ばくかのお金が支給され、地元の食品を食べずに良い食品を買い求めなさいという指示が出されたとの報告もあり?)、II.希望すれば移住が認められる区域、III.原則として立ち退きをする永久管理区域、IV.強制立ち退き区域とされた(たとえば今中哲二氏や佐藤幸男)。この結果に照らすと、柏の汚染(日本の放射線管理区域相当)は、チェルノブイリの汚染地図のI.に相当する。
NHKがチェルノブイリ事故の5年後につくった「チェルノブイリ小児病棟~5年目の報告~」というドキュメンタリーでは、III.のエリア内の病院(ブラーギン地区病院)(基本的に立ち退きエリアだが、番組取材時点ではまだ避難計画の途上とされる)は言うに及ばず、I.のエリア内にある病院(ゴメリ州立病院)でも子供の甲状腺ガンや白血病の増加していることが報告されている。ゴメリ州立病院でなくなった少年が住んでいたのは、II.のエリアに相当する街(ホイキニ)であり、被曝量は10mSv程度と予想されたが、白血病で亡くなったことなどが報告されている。またその少年の妹の血液からは染色体異常が発見されたとのことだった。番組では、少年が住んでいたアパート付近の線量が測定されているが、その値は0.36μSv/h程度であった。もちろん、取材時(事故5年後?)の値であり、またこの値が少年の生活圏における代表値として適当であったかわからない。外部被曝以外に相当の内部被曝をしていた可能性もあり得る。従って、一概に言えるものではないが、線量率の値自体は現在の柏レベルの値であり、率直に言って柏で子育てをすることに不安を募らせる内容であった。
なお、番組は最後に、IAEAが「放射線被曝に直接起因するとみられる健康障害はなかった。今後大規模な疫学調査をしても、がんや遺伝的影響が放射線によるものかどうか見分けることは困難である」という報告書を出したことを取り上げ、疑問を投げかけて終わっている(その後、甲状腺ガンのみ、放射性ヨウ素によるものと認められるようになった。しかし白血病その他の放射線影響は認められていない)。その後、NHKは事故後10年、20年の節目に、ドキュメンタリーを作成しており、いずれもYou Tubeなどで見ることは出来る(著作権の問題により削除されるかもしれない)が、私の知る限り3.11後にTVで再放送された形跡はない。過去の情報こそ、今必要とされているはずなのに、そのような情報が全く出てこなくなってしまったことも、私が大きな違和感と危機感を抱いた点である。
「とりあえずのまとめ」
「チェルノブイリ小児病棟~5年目の報告~」に見られるように、柏レベルであっても気持ち悪い思いを禁じ得ない一方で、ゴメリの子供全てがガン・白血病を発病したという訳でないのは確かである。また、すでに書いたように、セシウム137で見た限りはチェルノブイリのI.ゾーンだとしても、食料の汚染度や、その他核種の挙動などはチェルノブイリと異なっている(チェルノブイリの方がひどいと思える)ことも多い(ただし、原発から近いエリアは、チェルノブイリのIII.IV.ゾーンを越える汚染となっているところもあるようであり、ここからの避難が十分間に合っていたこと、そしてそこで今作業している方の安全管理がきちんとされていることを切に願うばかりです)。よって柏程度の汚染で「危険だから子供はみんな避難させなさい」と主張するのも行き過ぎだろうと思っている。
ただ、一方で問題になってくるのが、内部被曝の問題と、子供の放射線感受性の問題である。臨月の妊婦をかかえて3月11日を迎え、今5歳の娘と0歳の息子を抱える身として、早い時期からこの2つの問題は気にしすぎるくらい気にしてきた。飲料水や食品からの経口内部被曝や、土の経口摂取、再浮遊塵の吸入による内部被曝など、またまた理解が難しい課題である。この辺になってくるといよいよ「グレーゾーンが広大に広がっていて、よくわからないことも沢山あるのだけれど、その中でどの程度の予防原則を発揮して、どの程度の行動をとりますか?」という話になってくるのだろう。放射線の問題は、一つの基準、一つの勧告(いわゆる「正しい情報」)が出れば、それで解決するような問題ではないのだが、すでに長文になりすぎたことでもあるので、これはまた次回に回すこととしたい。 (放射線の問題だけが、そうなのか?というのもずっと気にしている課題なのだけど、これも機会があれば、ということで。)
注1
たとえば、ウオールストリートジャーナル日本版:【オピニオン】石炭は核よりも危ない ホルマン・ジェンキンス
注2
ARecoNote3 あるいは一泉庵3 ecology,economy,and gastronomie:ICRP勧告の経緯と問題 そして アラーラでは、ALARAの概念事態、規制を緩和する方向で変わってきたことを指摘している。