Short EssayはFacebookのノートへ移行していくかもしれません。
「ただちに影響はありません」?
柏の線量が云々される前の話だが、事故直後、原発敷地内や敷地境界あるいは敷地外で観測される空間線量率について、「この程度の数値は直ちに健康に影響を与えるものではありません」という説明がよくなされていた。
放射線影響には、急性障害と晩発性障害があるとされる。急性障害は、読んで字のごとく、すぐに現れる障害を指し、致死、白血球減少、脱毛などが知られている。晩発性障害は、被曝の影響が何年か後に現れてくる障害を指し、主として発がんを想定している。急性障害に関しては、これくらいの線量を浴びればこのような障害が出る、という関係性が比較的はっきりしていることから、確定的影響と呼ばれるのに対し、発がんは同じ線量を浴びても発がんする人としない人がおり、これくらいの線量を集団に浴びせると、何%の人が発がんするかといった把握の仕方をするしかないので、確率的影響とも呼ばれている。
急性障害に関しては、「これ以下の被曝であれば障害が起こらないぎりぎりの値」=「閾値」が存在するといわれ、過去の被曝データの蓄積から数100mSvまでは大丈夫であろうとされている。よって安全側にみて「100mSv以下なら直ちに影響がでることは絶対にないので安心して下さい。」ということが喧伝された。その程度の線量で、急性影響が出ることはないだろうとは私も思っていたので、とくに異存はなかったが、「直ちに」というのは「急性障害に関しては」という限定だろうと思って聞いていた。しかし、原発作業員の方々以外の一般公衆の多くに関係してくるのは晩発性障害だろうと思っていたので、「晩発影響までは知らないよ、そこまで構っている状態ではないよ」ということを言われているのだと理解していた。
「直ちに」を連発していたころは、もっと速やかに事故を収束できると思っていたと言うことなのか、とりあえず急性影響さえ出なければ後のことは知らない(晩発性影響がでてもその頃は政権が変わっているだろうし)と思っていたのかは定かではないが、その後事故の長期化が避けられないことが誰の目にも明らかになって、晩発影響も考慮した年間限度が取りざたされるようになっていった。
前回の更新の後、様々な動きがあった。本も読んだし、メモも書き散らしては来たのだが、どうにも忙しくなってあっという間に時間が経ってしまった。個人的には、原発の問題は最優先課題なのだけど(注1)、なかなかそうとばかりも言っていられず、自らの能力不足がもどかしい。遅ればせながらではるが、少しだけでも整理しておくことにする。
前回までは、大手メディアから出てくる情報があまりにも「安全」ばかり強調していること、「菅降ろし」を巡る動きもなんだかきな臭いこと、柏近辺の放射線量が関東平野の中では随一と言っていいほど高いにもかかわらず、ほとんど一般に知られていないことなどから、「もっと危機感をもって対応する必要である」と声を上げることが主眼であった。
柏の線量率が高いことが明らかとなった発端は、東大が発表してきた「東京大学環境放射線情報」のデータである。同データは、もともとは東大の内部ネットで公開されていたものだった。原発の状況が不透明な上に、計画停電が実施され電車も止まるという状況だったことから、「学外からも見られるようにしてほしい」という要望を挙げてみたところ(同様の要望を挙げていたのは別に私だけではなかったと思うが)、関係各位の努力もあり、学外公開されることとなったものである。(当時は、留学生などが自宅待機していいても十分な情報が得られるようにということばかり考えていたのであって、それがまさかこういう展開になろうとは全く思っていなかった。)
3/15から始まるそのデータは、柏キャンパスの値が本郷キャンパスや駒場キャンパスの値に比べて微妙に高いことを示していた。当初の東大のQ&Aでは、「敷石や自然石などにより柏は平常値が高い」と説明しており、そこまでは、まあそう説明できないこともない値だったかもしれない(震災前(3/11前)の値がないので、本当のところはよくわからない)。しかしその後、3/21を境に値が急上昇し、その後減少するもののもとのレベルには戻らず高止まり(0.35μSv/h以上)し、柏と本郷・駒場の値には明確な差がみられるようになった。この差が一部の人々の目にとまり、ネット上で議論されるようになっていったのである。東大のHPでは、その後もしばらく「敷石・自然石による自然放射線説」が放置されたことから、ネット上で批判をあつめることとなった。「敷石が降ってきたとでもいうのか!」といった至極全うな批判もあったように思う。
June 11, 2011
飛行機にのるときは徹夜で準備して飛び乗って、ということが多いので、いつも飛行機で映画を見るというわけでもないが、それでも時々は見る。で、見た映画を振り返るとなぜか邦画ばかり。これは年を取ったということなのか。。。
で、先日のタイ出張の時に機内で観たのが「武士の家計簿」。森田芳光監督。加賀藩御算用係の一族のライフヒストリー。前半は、借金まみれになりながらも体面を気にして抜本的解決策を打てない江戸時代の武士の姿をコミカルに描く。その姿は、財政破綻寸前の大借金を抱えながら何の手も打たない日本、今後の人口構成の推移から考えて今手を打たなければこのまま悪化するしかないということが明らかとなっているにも関わらず、過去の成功体験や既得権益のしがらみにとらわれてなんの変革も起こせない現代日本の姿そのままだ。監督は、江戸時代の武士を描きながら現代日本を風刺するということを意図的にやっているのだと思う。
June 4, 2011
ベント作業前に放射性物質検出の報があった(たとえば毎日新聞6月4日)。それ見たことか、という思いを禁じ得ない。
つい先日は、ベントが遅れたとか、注水を中断させたとかさせてないとかが大激論になっていたが、事故経過についてはまだまだわかっていないことが多いのに、どうして局所的な個別事象の是非を問う話しか出来ないのか、甚だ疑問だった。(以下のようなメールを5月24日で知人に書いていたので、転記しておく(後出しだけど))。
やっぱりベントの遅れだけが問題なわけではなかったじゃん、、、、と。
問題をすり替えたい人がいるのか、そもそも大局・本質をとらえる能力がないからなのか。。。
June 2, 2011
Facebook上で5月6日に発信していたデータですが、なんだか俄然需要が出てきているようなので、こちらにも貼っておきます。
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東大が発表してきた「東京大学環境放射線情報」の中で、柏キャンパスの値が本郷キャンパスや駒場キャンパスの値に比べて高いことについて、一部で議論になってきた。おそらく以下のページ
で議論されていることが正しいと思われるが、自分でもカウンターを購入してみたので、その結果を挙げておく。
ガイガーカウンターを「素人」が購入することに対する批判や、福島で必要なときに余計なときにするな、といった言説も見られるが、そこまで扱いが難しいものでもないし、こちらも新生児を抱えているので、勘弁してください。すみません。福島には何かしらの貢献が出来るような方向へ持って行ければと思います。
2011年6月1日(水)
って何がしたいんだろうか。
ちょっと横道にそれるような気もするが、気になるので、政治には門外漢ながら書く。
私自身は、菅総理を特に支持しているわけではない。総理の人心掌握能力もあんまりほめられたものではなさそうだと思っている(自分に人を動かす能力がないのを棚に上げてるのはわかってるけど、私は総理大臣ではないし、許して下さい)。それから、地震以後とくに原発に対する政府の対応には、ほぼ最初から疑いの目を向けてきたし、地震直後の状況が改めて明るみ出つつある昨今「ほれ見たことか」と思う事が多いのも事実である。政府の不手際の最終責任が内閣総理大臣にあるのは当然だとおもう。
しかし一方で、谷垣自民党総裁や民主党内で造反するとされる鳩山前総理や小沢元民主党代表(というのがいいのか?小沢氏と言っておいた方がいいか?)は、菅総理を退陣させたあと誰が何やるといっているのだろうか、全く見えてこない。「能力がない人には即刻退場いただきたい」とは言うものの、「次」を睨んでいる人がどのような能力を持っているのか、そしてその能力を有する人がその能力をもって「何」をするのか、どうやって「国難」を乗り切って新しい日本をつくるのか、見えない。
2011年5月23日(月)
東日本大地震とそれによって引き起こされた大津波により、福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射性物質が環境中へ放出されるという事態となりました。これを受けて、事故発生後数週間の間に多くの外国人が日本を離れることとなりました。日本のメディアは軒並みこれを、「日本語を解さない外国の方々は、日本政府・メディアから出される「正確な情報」を入手し理解することが出来なかったため、外国からの「不正確」な情報に基づく「扇情的な」報道のみを鵜呑みにして日本を離れたのであって、日本語を解する方々の多くはきちんと状況を判断して日本に残られた。」という論調で報道しました。しかし、果たして本当にそうだったのでしょうか?
現在私は、新領域創成科学研究科 サステイナビリティ学教育プログラムに所属しています。同プログラムは、社会の持続可能性といった問題を国際的な問題ととらえ、問題の国際性を理解しつつ、国際的な場で国際的なチームを組んで解決策・発展ビジョンを探るという観点から、留学生を多く受け入れ(在籍学生の半数以上が留学生)英語での教育をおこなっています。同時に私は、東京大学のインターナショナルロッジの相談主事(インターナショナルロッジに居住する外国人研究者や留学生の日々の生活の相談役)としても活動していています。従って私は、外国人研究者・留学生と接する機会が比較的多い立場にいるといえると思います。そうした立場から、上記の報道には大きな違和感を感じました。当時を振り返りながら、その違和感について考え直してみたいと思います。
2011年5月23日(月)
東日本大震災発生から2ヶ月半近くが過ぎようとしています。地震・津波に被災された方々、原発事故の影響を受けて避難生活を余儀なくされたり、放射性物質の影響に不安な日々を送っておられたりする皆様には心よりお見舞いを申し上げます。これらの方々には遠くおよびませんが、私もこの2ヶ月半、学生の安否確認(地震・津波の被害にまきこまれていないか?)から始まって、原発事故と放射性物質の放出による健康リスク(とくに臨月の妻とその後生まれた新生児への)をどう評価しどう行動するか、外国人留学生たちの行動とそれにどう対応するかなど、私的にも公的にも様々な困難な課題への対応が求められ、気の休まる時もなかったように思います。専門外の分野のことでも必死で素人勉強し、自分で判断・決断しようと努めてきたつもりですが、余りに色々なことがありすぎて、意見を集約して表に出すところまで手が回らなかったのが現状です。その分、胸の内にため込んで鬱屈としてきた部分もあると思っています。そこで、震災発生から2ヶ月半がたち、事態の展開スピードが少しだけ遅くなって、学生の物理的・精神的な安全管理にも少しだけ余裕ができてきた今(とはいえ、事態が収束したとはまだまだ言えず、決して予断は許しませんが)、少しずつでも胸の内を表へ出していかなければならないと思っています。
また、地震、津波とそれらに続く原子力発電所事故は、未だかつて経験したことのない(あるいは戦争なみ?明治維新以来の?)大激震となって日本全体を揺さぶっています。しかし、あえて誤解を恐れずに書けば、これだけの大激震の割には社会が平静過ぎるのではないか、という思いも禁じえません。本当は社会の仕組みが劇的に変わらなければ行けないくらいの大事件ではないのだろうか?これまで自らが胸の内のため込んで来た思いや、感じてきた様々な違和感を振り返りつつ、今後のことを展望して行ければと思い、ブログのようなものを書いてみようと思った次第です。よって、当面は東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の話題を中心に、徒然と書いて行ければと思います。
なお、私はもともと環境工学の研究者ですが、そこから転じて環境教育、サステイナビリティ教育、サステイナビリティ学の構築、環境リーダー教育にも携わっています。学問の分野では青二才が専門分野外のことに口を出すことは、心配こそされ決してほめられたことではないと思いますが、環境学とかサステイナビリティ学とか、伝統的なディシプリンすこし浮遊気味の今は、「素人全開」「青臭さ上等」の精神で取り組んで行きたい、それこそサステイナビリティ学の使命と思って突き進んでみたいと思います(どこまでいけるかわかりませんが、、、、)。
ですのでこのブログは私個人の見解であり、所属機関の公式見解とは関係ありません。また、勉強しながらですから、あとから訂正や修正あるいは記事を削除することもあり得ます。放射線や原子力についても、事故発生後必死で勉強してきた素人ですので、そこはご了承いただけますと幸いです。